ここ数日間、記事更新が出来ていなかったのですが、九州の義理のご両親の家へ帰っていました。
それは、新築祝いをするためです!
しかもこの「新居」、なんと嫁の私が建てましたww
これがその新居です♡
なんと、土地は100坪購入!そこに約30坪の、総バリアフリーの平屋を建てました!
床は総ひのき。
玄関のドアを開けると、ひのきの爽やかな香りが鼻を抜けていきます。
壁は全て塗り壁。
なんと、ビニールクロス ゼロです!
まるで家全体が呼吸しているかのように気持ちいいです。
こんなに素敵なお家に仕上がっていて、大感動しました!
新築祝いも、それはそれは盛り上がって…。
お義母さんのご友人は、感動のあまり泣いていました(笑)。
しかし、こんなことができたのは、私がお金持ちだったからではありません。
じゃあなぜ旦那さんのご両親の家を建てることになったのか、その理由を書きたいと思います。
結婚の挨拶で訪れた旦那さんの実家の状態に絶句
私が九州にある旦那さんのご実家へ結婚の挨拶に訪れたのは、忘れもしない東日本大震災の翌日でした。
前日は自宅へ戻れず、翌日早朝にバスやタクシーを駆使して自宅へ戻り、同じようにして羽田空港に着いたのですが、空港には帰宅困難者が雑魚寝であふれかえっていました。
前日の大地震で一睡もできず、気が滅入ってしまっていた私。
「こんなときに飛行機乗って遠出するなんて…しかも結婚のご挨拶…」と、初めて会うご両親への緊張、地震からくる恐怖に襲われながらの九州初上陸でした。
しかし、そんな不安はすぐに無くなりました。
空港へ着くと、旦那さんのご両親やお姉さん、甥っ子くん姪っ子ちゃんが、みんなスペシャルな笑顔で出迎えてくれ、すぐにみんなが私を家族として受け入れてくれました。
私は、一発でその土地を気に入りました。
美味しい食べ物、溢れる自然、のんびりとした時間の流れ、活発な子ども達…。
元々「田舎」がなかった私だったので、日本にもこんなに素敵な場所があるんだな~と、新鮮でした。
しかし、旦那さんの実家は相当古いと聞いていたのですが…着いてみて絶句。
築50年くらいかな…という平屋の木造一戸建て。借家です。
壁紙は剥がれていて、床も穴があいて抜けちゃってるところもありました。
家の前の道を車が通る度に窓がガタガタと大きな音を立てて揺れ、
隙間風もすごい入ってくるし、トイレは和式。
お風呂はお湯のシャワーが出ませんでした。
浴槽にはお湯を溜められるのですが、ガスでは無くて簡単な太陽光ソーラー電池が
ありその電気を使って沸かすので、天気が悪い日が続くとお湯に浸かれません。
(もちろん、シャワーはお湯が出ないのでそうなったら身体は洗えません。しかも九州はかなり雨が多いです。致命的。)
そんなお家に、数年前に脳梗塞で倒れてしまって左半身があまり自由のきかないお義父さんがいます。
この生活はさぞかし大変だろうな…
自分がいつも美味しいものを食べ、友達と遊び、好きなことにお金を使っていたことを恥ずかしく思いました。
「そんなお金の使い方をするんじゃなくて、今後は貯金をしっかりとして、ここに新しい家を建てるために使おう」
そう思ったのでした。
(このときはまだ持ち家だと思ってました…)
家は古くてもみんな明るい人たち。お義母さんの人柄に惚れた。
そんな、ふっる~~い家だったのですが、親戚が集まるととにかく賑やかで温かい雰囲気で。
家が狭いからこそみんないつも同じ空間にいるし、とにかく会話が飛び交います。
私の実家は、かなり母が厳しく、さらには私が中学生の時に父の多額の借金が発覚。そのため、家ではいつも母と父が喧嘩をしていました。
私も、友達と同じように新しい洋服を買ったり遊んだりが出来ず我慢ばかりなのに、それでも母から顔を合わす度にもっともっと勉強しろと言われ、それが納得できず、本当に喧嘩が絶えませんでした。
そんな環境で育ってきた私にとって、旦那さんの実家はとっても居心地の良い最高な場所でした。
とにかくみんな明るい。笑ってる。
あれが無いこれが無いと、無いものねだりしない。
そして、いっつも優しい笑顔で、私のことだけでなく誰のことも悪く言わない、いつだって否定的な事を言わないお義母さん。
いつも否定ばかりされて育てられた私にとって、このお義母さんの存在はまぶしいくらい素敵に感じて、私もこんな人になりたい!と思うようになり、さらには「このお義母さんのために、家を建ててあげるんだ!」という気持ちになったのです。
ただ、家を建てるなんて、そうたやすく出来ることではありません。
私の実家もお金が無いし、私だって、生活を全て根詰めて節約して贅沢しないで全てのお金をお義母さんに捧げよう、と思うほどいい人じゃありません。
だから、旦那さんにも、「いつか家を建ててあげたいと思っていること」は黙っていました。
毎年九州へ帰る度に、私の心の中でひっそりと、「いつかこのお家を新しいピカピカのお家にしてあげるんだ!」と思っていたのでした。
お義父さんが定年退職。私にも子どもが生まれ、独立を決意し会社を辞めることになりお金を手放した
そんな状態のまま5年が経過。
我が家にも待望の赤ちゃんが産まれ、生後半年の頃、初めて九州へ連れていきました。
みんな本当に娘を可愛がってくれ、私の身体のこともすごく気遣ってくれました。
丁度この帰省のときに、「お義父さんがもう65歳だから定年だよ」という会話になったんです。
お義父さんは左半身が不自由なだけでなく、年々ボケが始まっていて、しかも、THE!九州男児!といった感じで家事は一切やりません。
まだ働いているお義母さんはまた一段と大変な様子でした。
「もうお義父さん65歳か…。早く新しいお家を建ててあげないと、せっかく建てても長く住めなくなっちゃうな。。。」
「しかもお義父さんが一日中家にいる生活になる…。お義母さんを少しでも楽にさせてあげたい!!家事のし易い家を早く建ててあげよう!」
私の心の中では、「家を建てるのは今かもしれない」と思うようになりました。
そして、「家を建てるのは今だ」と思った理由はもう1つあります。
丁度私も、子どもが生まれたことで自分の将来の仕事を見つめなおしていて、今まで散々働きづくめだった仕事スタイルを辞めて、もっと家庭の時間を大切に出来るような仕事に就きたいと考えていたのです。
色々本を読みあさり、ブロガー/アフィリエイターという仕事に出会い、育休後は復職せずに、この新たなチャレンジをしていこうと決めていた頃でした。
この5年間、必死に働いてきたおかげで貯金はかなり貯まってきていました。
そして、私も新しい事業にチャレンジするなら、死に物狂いでやりたいし、手元にこの貯金が丸々あってはダメだ。と感じていたので、これも、家を建てるなら今!という理由につながりました。
「ブロガーとして、アフィリエイターとして、成功していきたいからこそ、今手元にあるお金は手放そう」
何かを得たいなら、何かを手放す。
私は、今までの社会人生活の中で、この大切さを身に染みて感じていました。
だから、頑張って働いて貯めてきたお金も、勇気を持って手放す決意をしたのです。
この帰省で家の建設を決意し、東京へ帰る飛行機の中で、旦那さんへ初めて「ご両親に家を建てない?」と提案しました。
旦那さんは、
「俺、子どもの頃から、両親に家を建ててあげることが夢で、親友にもそう話してたんだよ。でもまさかそれが実現することになるなんて。本当にありがとう」
と言っていました。
こうして、「旦那さんのご両親へ家を建ててあげる」というサプライズ企画はスタートしたのですが…
まあ、正直こんなにも家を建てることが大変なことだったなんて!と、動き始めてからは想定外な出来事の連続でした…。
次回は、そんな、「超想定外続き!!!家を建てる上でこれが大変だった!」ということをまとめていこうと思います!
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